幼少期に知人からの性被害を受け、高校時代には刃物を持った男に襲われたKさん。長い間、誰にも本音を語ることができず、「克服した」と思い込んで生きてきた。性被害は、被害者の人生に長く影を落とす一方で、その傷は外からは見えにくく、語られる機会も少ない。
今回は、性被害の実態から、「受容」という言葉にたどり着くまでの歩み、そして「加害者をつくらない社会」を目指して活動する思いを伺った。
10歳で受けた性被害
Kさんの母は外国人で父は日本人だ。物心つく頃には両親はすでに別居状態にあり、Kさんは父と2人で暮らす日々を送っていた。
母とは時々顔を合わせる関係で、母の家に泊まりに行くことも少なくなかったという。正式に両親が離婚したのは、Kさんが17歳の時だった。
母の家には、交際相手の男性も一緒に住んでいて、Kさんが5歳の時に、その交際相手と初めて顔を合わせた。Kさんは「時々遊んでくれる男の人」という認識しかなく、2人がどんな関係にあるのかなど、分かるはずもなかった。
Kさんが10歳を迎えた夏、いつものように母の家へ泊まった日、一生の心の傷となる出来事が起こった。
「母と交際相手の男性の間で寝ていたんです。私が眠りに落ちた時、ちょっと身体に違和感を感じて目が覚めました。その時に、自分の身体を触られていることに気がついたんです」
自分が何をされているのか理解できず、身体が縮こまってしまったという。隣には母が眠っていたが、気づいていなかったようだ。気が遠くなるほどの時間をかけ、ようやく絞り出せた言葉は、「喉が渇いた」の一言だった。
その日以降、母の交際相手による身体を触る行為は続いた。上半身から下半身まで、最初は服の上から触る行為だったが、直接肌へ触る行為へとエスカレートしていった。
気持ち悪さや嫌悪感でいっぱいだったが、母や父に言うことはできなかった。やがてKさんは、精一杯の意思表示を試みる。
「ある日、母にこの位置で寝るのはやめたい、端っこが好きだから端っこで寝たいとようやく言えたんです。当時は、そう伝えるのが精一杯で、背景までは言えませんでした」

端で眠るようになったことで、行為そのものはなくなった。その後、両親の関係性が悪化し、しばらくの間母や交際相手と会わなくなった。
誰にも話せない日々を送る中、Kさんを縛っていたのは被害そのものだけではない。
周囲にいたのは同じ年頃の子どもたちばかりで、同じ小学校に通う友人に打ち明けられるはずもなかった。当時は今ほど学校の相談窓口も整っておらず、教師に相談するという発想すら持てなかったという。
Kさんは「一緒にクラスで普通に過ごしてる子の中で、こういうことがあったのはきっと自分だけだろうとやっぱり思うんですよね。悪い意味で、自分だけが特別になってしまった感覚がありました」と話す。
そう語る言葉が示す通り、孤独感はじわじわと日常を侵食していった。小学4年生までは友達と笑い合って写っていた写真も、5年生になった頃からその表情を失っていく。中学生になり本音を話せる友人に出会うまで、色褪せたような時間は長く続いた。
この経験は、その後の人間関係にも影を落とした。男性がどこまでの年齢を性的な対象として見るのかを、自分の経験から知ってしまったことで、心から男性を信頼することが難しくなっていった。
刃物を向けられた日
幼少期の性被害から数年後、16歳になったKさんを、もう1つの事件が襲う。高校2年生の夏、修学旅行のお土産を渡しに、友人の家へ向かっていた日のことだった。
「携帯だけを持って学校のジャージに上着を羽織り、露出がほとんどない服装で家を出ました。友人の家は歩いて3分ほどで、本当に目と鼻の先の距離でしたね」
友人の家まであと30秒のところで、不審な気配に気づいた。
「息を切らして走っている男性がいて、何か変な人だなと思ったんです。あと少しで友人の家に着くところで、その男性に腕をつかまれました。しかも刃物まで持っていて」
そのまま男に近くの公園の、人目につかない場所へ連れ込まれた。
「ちょうど近くを自転車で通る人影が見えたので、思い切り『助けて』と叫んだんです。男は私の声を聞いて逃げていきました」
幸いKさんに怪我はなかったものの、事件はすぐに警察による捜査へと発展し、逃走した男は特定された。家宅捜索の結果、男の自宅からは、Kさんがアルバイトをしていたアミューズメント施設の景品が大量に見つかったという。
捜査を担当した警察官は、「以前から狙われていた可能性がある」と言い、正式に訴えるべきだと勧めた。しかし、当時のKさんは、母と疎遠になっていた時期で周りに女性がおらず、誰かに相談できる環境ではなかった。
「父もどうしていいか分からなかったと思います。でも私自身、この事件を長引かせたくなかったんです」
最終的に事件は、刑事手続きではなく示談になった。ファミリーレストランで、加害男性の祖父母と会い、相手から差し出された封筒には30万円が入っていた。後になって知ったことだが、加害男性には両親がおらず、祖父母に育てられていたという。

「『もうこれで許してください』と言われて受け取ったんですけど、私のこの被害は30万円なんだなと思いました。何に使ったのかは覚えていないです。取っておくのも気持ち悪かったので」
長引かせたくないという思いで選んだ結末だったが、Kさんの心に残ったのは、言いようのない虚しさだったという。事件の影響は、その後の生活にも長く尾を引いた。
「事件以降、1人で夜道を歩くこともできなくなりましたし、今でも家を選ぶ時は駅の近くじゃないと住めなくなりました。何かが起こる前に『助けて』と叫べましたが、まだ16歳なのに、こんな形で自分の尊厳を奪われてたまるかという気持ちがありました」
恐怖の中で振り絞った声は、助けを求める叫びであると同時に、自分自身を諦めないための叫びでもあったのだろう。
事件後、学校では注意喚起の書類が配られたり、学校全体で護身術の授業が取り入れられたり、教師がKさんが1人で帰宅しないよう、繰り返し声をかけたりしてくれた。自分を気にかけてくれる大人たちの存在は確かにあった。
一方で、捜査の過程では、「行き違っていたら死んでいたかもしれないね」と、笑いながら話す警察官に戸惑いを覚えたこともあったそうだ。
「特別な励ましの言葉をもらったわけではないんです。でも、私に何が起きたのかを知っている人たちが、1人にならないよう寄り添ってくれました。大人に話せば、ちゃんと守ってもらえる存在なんだって、その時初めて思えたんです」
幼少期の被害からおよそ7年。Kさんにとって、初めて「助けを求めてもいい」と思えた経験だった。
消えない傷との向き合い方
大人になってから結婚した夫や友人に過去を打ち明けた時、返ってきたのは驚きや怒りではなかった。
「今はどういう気持ちなの?」「大丈夫なの?」といったシンプルな言葉で、静かに寄り添ってくれたという。
夫は高校の同級生で、出会ってから20年近くになる。長い時間をかけて、夫が女性にどう接してきたかを見てきたことも、Kさんにとって大きな安心材料となっていた。
女性だからという理由で態度を変えるのではなく、1人の人間として尊重して接してくれること。それが、信頼を積み重ねる土台になったという。
時が経ち、母の交際相手の男性と、幼少期の性被害について話す機会も訪れた。男性は事実を認め謝罪したが、その言葉を聞いても特別な感情は湧かなかった。長い年月を経て聞いた謝罪は、失われた時間や傷を埋めてくれるものではなかったからだ。
「ごめんと言われましたが、何も感じませんでしたね」

その男性は今から2年ほど前に病気で亡くなった。性被害を知らない母は涙を流したが、Kさんは複雑な思いでその姿を見ていた。両親が知っているのは、高校時代に刃物を向けられた事件だけで、幼少期の性被害は伝えていない。
人生で楽しいと感じる経験の割合が増えていくと、いい意味で嫌な過去を忘れることができる。だが、それは、向き合うこととは違う。本当の意味で受け入れたり乗り越えたりするには、専門家の力を借りて向き合う必要があるのではないかと、Kさんは感じている。
「もしかしたら、病院に行った方がいいのかもしれない」。そう思ったのは、娘が10歳になり、自分が性被害を受けた年齢と重なったことがきっかけだった。
実際、Kさんはこれまでカウンセリングを受けたことはない。それでも、忘れることと向き合うことの違いに気づけたこと自体が、Kさんにとって大きな一歩だったようだ。
加えて、Kさんは「回復」や「克服」という言葉に違和感があるという。
克服とは苦手な物事に対して使う言葉であり、回復とは正常な状態に戻ることを指す言葉だ。性被害の記憶は消えるものではなく、自分の人生の一部として残り続けるもの。どちらの言葉も当てはまることはない。
「妥当な言葉がまだ見つかっていないんだと思います。人それぞれ事象をどう捉えているかにもよるので、万人に対して使っていい言葉はないんじゃないかなと」
「それでいいんだ」とも「自分のことを好きだ」とも思えない。それでも、性被害にあったという事実を受け入れて、これが自分の一部なんだと思って歩いていくしかない。
「私、1歳の時に心臓の手術をしていて、今も傷が残っているんです。この傷のように、ずっと自分が抱えていくものなのかもしれません」
なかったことにすることができない現実。そこでたどり着いた言葉が、「受容」だった。
被害者から支援者へ
母として、娘と向き合う日々の中で、自分なりの使命を考えるようになっていく。
純粋に育っている娘は、自分を性的な対象として見る大人がいることなど、想像もできないだろう。
だからこそKさんは、身体が発達してきた娘に、「良くない考えを持つ男の人もいる」ということを、はっきりと伝えている。
また、自身の経験は明かしていないものの、毎朝ニュースを一緒に見るようにしている。自分の好きな情報だけにアクセスできる時代に、世の中で何が起きているかを知る時間を意識的につくっているのだ。
家庭内でも、具体的な対策を重ねてきた。父親との入浴は10歳までと決め、「お風呂の卒業式」を行った。外出先でトイレに行く時は、必ず誰かと一緒に行くよう徹底している。
それでも、油断できない瞬間は不意に訪れる。
都内の博物館を訪れた帰り、公園のベンチでおやつを食べていた娘から少し離れ、Kさんがゴミを捨てに行った数十秒の間に、見知らぬ男が娘に近づき「かわいいね」と声をかけていたという。
Kさんが戻ると男はすぐに逃げていったが、娘は「いきなり話しかけられて怖かった」と話したそうだ。
「本当に一瞬も目が離せないなと思いました」
こうした出来事が、Kさんの中で、ある疑問を膨らませていった。学校から配られる「SOSはここに」という案内を、今の子どもたちは本当に活用できているのだろうか。必要な支援は、本当に整っているのだろうか。
幼い子どもへの性被害がニュースで取り上げられるたび、ネット上には怒りの声が溢れる。だが、判決も社会の仕組みも、なかなか変わらない現実がある。
そうした状況を前に、Kさんは小中学生、いわゆるローティーンの子どもたちを対象に、性被害者支援と予防の両方を担うNPO法人の立ち上げを決意した。
根底にあるのは、「加害者をつくらない」という考え方だ。性犯罪の判決の軽さに対し、Kさんは強い疑問を抱いている。
ペドフィリア(小児性愛)といった嗜好は一種の「病」であり、罰するだけでは再犯を防げない。加害者本人へのアプローチなしに、性被害の根は断てない。
今後はこうした考えを、政治家にも伝えていきたいという。
同じような経験を持つ人へ向けて、「1人で抱え込むのは難しいし、最初はどうしたらいいか分からない。心を許せる人に、ただ話を聞いてもらうだけでもいいと思います。抱えていた荷物を少し下ろせて、見える世界が明るくなるかもしれないので」と語るKさん。
消えない傷を抱えながらも、自分の人生の一部として受け入れていく。その歩みの先に、Kさんが目指す「加害者をつくらない社会」がある。
この記事を書いた人

フォスター詩織
Kotonohaメディア代表。声なき声をすくい上げ、社会へ届ける活動を軸に執筆を行う。多様な生き方と価値観を尊重し、共感と気づきを生む記事制作に尽力中。
