子どもを保育園に預けながら働く、共働き世帯が増えている今日。保育園は、家庭と社会をつなぐ生活の基盤として欠かせない存在だ。
保育士として10年以上、現場に立ち続けてきたMさんは、育児休暇を経て「復帰をしない」選択をした。子どもが好きで、仕事に誇りもあったが、母親になった自分が、現場に戻る姿を想像することはできなかったという。
本記事では、Mさんの語りを通して、保育の現場で何が起きているのかをお届けする。
憧れから保育士の道へ
Mさんが保育士を目指すきっかけは、小学4年生時に出会った担任の先生だった。
その先生は、Mさんの学年を最後に定年退職することが決まっていた。だからだろうか。子どもたち一人一人へ向けるまなざしは、とても熱のこもったものだった。
「図工の時間が印象に残っている」と語るMさん。効率を重視すれば省かれてしまいそうな工程を、あえて省かない。空き缶を集めて怪獣をつくるなど、生徒の創作心を育てる授業を積極的に行っていた。
「授業が楽しかったのもありますが、より先生の思いが伝わってきたんだと思います」
将来の夢を書く時間には、自然と「先生みたいになりたい」と書いた。理由を考える前に言葉が先に出ていた。
当初は小学校教員の夢を思い描いていたが、長女として年下の子どもと関わる機会が多かったこともあり、進路は次第に保育士や幼稚園教諭へと具体化していった。
それから4年制大学へ進学し、本格的に保育を学んだMさん。保育の講義は、純粋に楽しく学べたという。
保育は「子どもの面倒を見る仕事」だと思われがちだが、実際の講義では、子どもの行動を丁寧に分解し、深いところまで学んでいく。
なぜその行動が起きたのか、その前に何があったのかなど、家庭環境や親の関わり方まで含めて考えるのだ。
Mさんは「テストで『この子の気持ちを汲み取った上で、あなたならどのように言葉をかけますか?』と問われた時に、子どもに焦点を当てながら考えるのが好きでした」と笑顔で話す。
実習も含め、学んでいる間は「やりがい」しかなかった。子どもに寄り添うことは尊い。時間をかけて関われば、子どもは必ず応えてくれる。そう信じていたが、実際の保育の現場に立つと、その夢はあっさりと崩れた。
保育園での機械的な実習に違和感
Mさんが、初めて理想と現実のズレを強く感じたのは、実習先の保育園での出来事だ。
0歳~1歳児の身体洗いの時間になり、赤ちゃんを待機させていく。そして、服を脱がせる人、お尻を洗う人、着替えさせる人と役割分担された保育士たちが、淡々とおむつ替えをしていく様子を見て、「どうしても流れ作業だと思ってしまったんです」と振り返る。
実習記録には、「流れ作業のようにお尻を洗い……」と見たままを書いたが、指導担当の先生に「流れ作業なんて書き方はしないでください。ゆったりとスキンシップを取りながら、おむつ替えをしているので」と強く注意された。
しかし、あの機械的な素早い動きの中にスキンシップが入り込む余地は一切なく、「そんなことなかったはずなのに」とモヤモヤしたという。
「保育業界あるあるで、記録が残るものにはマイナスな書き方をしてはいけないというのがあります。理由は保護者が見る可能性があるからです。理想と現実のギャップを感じながらも、当時は『果たしてこの書き方で伝わるのかな?』と思いながら記録をしていました」
現場で感じたことや事実をそのまま書くのではなく、遠回しな表現に置き換えるのが暗黙のルールだったという。Mさんの発言にもあるように、保育の現場ではこういった暗黙のルールが多数あるようだ。
楽しい保育の学びと現実の間に生まれたズレは、大学を卒業し保育士になってからも続いた。
保育士1年目に担当した1歳児クラスでは、園庭の砂場から外に出てはいけないルールがあった。
砂場から園児が1歩でも外に出ると、「あの子を戻して」「ちゃんと砂場に入れて」と園長からの声が飛ぶ。
学生時代の講義では、1歳児は探索活動が盛んで、さまざまなものを見て、触って、感じることで脳が発達すると学んできた。
「だからこそ、本当はもっと自由に遊ばせてあげたいと思っていたんです。園児が砂場外に出ては戻しを繰り返すうちに、『私、ずっと砂場戻し係だな』と思いながら仕事をしていましたね」
園の方針で「事故を防ぐため」という理由は理解できたが、子どもたちの外に行きたい気持ちを止め続ける日々の中で、いつしかMさんにとっての保育は「育ちを支える関わり」から「事故を起こさないための管理」へと形を変えていった。
一人一人と向き合う余裕がない現場
「座学では子どもの気持ちを尊重すると学んだのに、現実は忙しすぎて1対1の関わりが持てませんでした」
待つことも寄り添うことも、頭では大切だと分かっている。しかし、子どもが靴を履くのを待つより、手を添えて履かせた方が早い。泣き止むまで話を聞くより、次の行動に移した方が全体は回る。
加えて、発達障害やグレーゾーンの子ども同士のトラブルが連鎖し対応に追われていた。
多動や他害傾向のある子ども同士は、同じグループにできない。隣に座らせれば刺激し合い、席を離せばそこの席で別のトラブルが起きる。
活動の切り替え時には必ずトラブルになるので、片手で他害傾向のある子と手をつなぎながら、もう片手には多動傾向の子と手をつないで移動するのがデフォルトになっていたという。何かあってもすぐ近くで止められるようにするためだ。
それでも、うまくいかないことは多く、誰かの一言が引き金になり、別の子が泣き出す。1人が教室を飛び出せば、教室内にいる子どもたちの場も崩れていくのが現実だ。
だからこそ、教室を飛び出した子を引き留めることはできず、「誰か引き留めてください!」と廊下で声を上げ、気づいた先生に対応してもらう。
「クラスを崩壊させないため、誰かが傷つかないための、最低限の対応に追われる日々でしたね」
そして、Mさんが妊娠中のときに衝撃的な出来事が起こった。多動傾向の子を制止しようとした瞬間、妊娠中の腹部を蹴られたのだ。大事には至らなかったが、その出来事が保護者に伝わることはなかった。
「言えなかったというより、言わないものだと思っていました」
現場で起きた大きな出来事が、問題として言語化されないまま、静かに消えていく。個人の心で受け止める以外に感情の行き場はなく、「なかったこと」として処理されているように見える場面も少なくない。
Mさんは当時を振り返り、「発達障害やグレーゾーンの子を責めたいわけではない」と前置きした上で、「本来なら自然に回るはずの保育の流れが、どうしても止まってしまう瞬間があったんです」と語る。
発達支援を専門に担う職員は、園に常駐していない。巡回で年に数回訪れることはあっても、日々の判断と対応は担任に委ねられていた。十分とは言えない体制の中で、Mさんを含む保育士の負荷は確実に積み上がっている。
足りないのは人か、心の余裕か
保育現場の課題は人手不足だ。欠員が出ても、すぐに補充できる余裕はなく、結果として「ヘルプで来てくれる人は断れない」空気が生まれている。
そうすると、経験や専門性に差がある職員が同じ現場で働くことになる。丁寧に子どもと関わろうとする人もいれば、最低限の対応で済ませようとする人もいて、この差を調整する仕組みはまだ整っていない。
また、Mさんは保育士1年目から、保育現場の人間関係に強い違和感を抱いていた。保育の現場では、子どもの些細な行動に過剰に反応する人が多く、周囲の目を必要以上に気にする雰囲気があった。
なにより辛かったのは、悪口が常態化していたことだ。子どものこと、保護者のこと、同僚のことなど、誰かを下げる言葉が日常的に飛び交っていた。
同期と集まっても話題は不満ばかりで、「ここでは悪口を言わないと自分を保てないのかな」と感じたこともあった。
「保育の仕事自体は好きでした。でも、保育をしている人たちが好きになれませんでしたね」
こうした人間関係が生まれる背景についても考え続けてきたMさん。
保育士や教員は、誰かの上に立って関わっていく職業だが、成果が数字で見えるわけでもなく、給料に大きく反映されるわけでもない。年数を重ねれば昇給はするが、「自分の力」を測る明確な基準がない。
「だからこそ、誰かを下げることでしか、自分の立ち位置を確認できなくなってしまうのではないのかなと思います」
厳しい現場での救いは子どもたち
こうした厳しい職場環境でも、Mさんが保育士を続けられた理由は、子どもたちとのつながりにあった。
Mさんは、年長クラスの担任を任されることが多かった。卒園の日、涙を流しながら巣立っていく子どもたちを見送るたびに、胸がいっぱいになったという。
小学校の入学式の後、園の前が通学路の子どもたちは、毎朝手を振ってくれたり、人事異動の知らせが出る春休みには「先生いる?」とインターホンを押して訪ねてきたりする子もいた。お互いの住所を交換し、手紙のやりとりを続けたこともある。
「将来、M先生みたいな保育園の先生になりたいから、これから保育を勉強します」と手紙に書いてくれた子もいた。
「それを読んだときは、泣きましたね」とMさんは静かに笑う。
妊娠中には「おなかの赤ちゃんが生まれたら、一緒に遊ぼうね」と声をかけられたことも。そんな何気ない一言が、これまでの苦労を一瞬で吹き飛ばしてくれることがあった。純粋で、計算のない言葉に触れるたびに、「やっていてよかった」と思えたという。
続けたいのに続けられない構造
現場を離れた元保育士の多くが、今も子どもが好きで、保育士という仕事に誇りを持っている。
辞めた理由は、能力不足でも情熱の欠如でもない。保育園は朝7時から夜遅くまで開いているが、保育士がその時間全てを働くわけにはいかない。
そうなると、時差出勤や複雑なシフトが組まれるため、担任不在の時間帯が生まれる。全ての先生が揃わないが故に、業務が円滑に進まず、サービス残業が当たり前になっていた。時差出勤が減り、必ず残業が記録される仕組みになれば、もう少し働きやすくなるのではないか。
また、現場はとにかく人が足りない。「誰でもいいから来てほしい」という状況になると、専門性や意欲に差がある職員が混在し、発達障害やグレーゾーンの子どもへのサポートが十分に行き届かなくなる。
「私自身、保育士を辞めたいと思ったことはないですし、本当は続けたい気持ちもあるんです。でも労働環境を考えた時、母親になった自分が保育士として現場に戻るのは難しいと感じました」
子育て世代を支える仕事でありながら、自分が子育てをする立場になったとき、その働き方を続けられない——。そこに、保育の現場が抱える大きなねじれがある。
もし、決まった時間で働ける選択肢があったら。担任を持たなくても、専門性を生かして関われる役割があったら。1人で抱え込まなくていい体制があったら。
現場は慢性的な人手不足に苦しんでいる。一方で、現場をよく知り、子どもへの思いを持った人たちが、復帰を諦め別の道を選んでいく。
保育士は家庭と社会を支えているが、その保育士を、誰が、どのように支えているのだろうか。結婚や出産、ライフステージの変化に関係なく、安心して働き続けられる環境をつくるには、何が必要なのか。
子どもを大切にしたいと願う社会は、その現場に立つ人たちを、同じように大切にできているだろうか。
この問いは、保育の現場だけでなく、私たち一人一人に向けられている。
